33.
第十話 みんなで初詣
冬休み中にアンはショウコとサトコに麻雀をたっぷり教えた。ショウコもサトコも中々ルールを覚えられず苦戦したがそんな相手に教えるという経験がアンには新鮮でやり甲斐を感じた。すると
「わかったわ!」とショウコがふと言い出した。
「なにが?」
「麻雀は料理よ。与えられた具材でいかに最も価値ある一皿をムダなく手早く作ることが出来るか。そういうことじゃないの?」
「すごい! その通りよショウコ」
「だとしたら私たちには出来る。だって私たちは本来は料理研究部。料理を科学することの応用で麻雀も科学してしまえばいい」
この日の気付きをきっかけに料理研究部の2人はその後、麻雀研究家としての才能を発揮していくのであった。
────
元日
麻雀部は勢揃いしていた。佐藤スグル、財前マナミ、財前カオリ、佐藤ユウ、井川ミサト、竹田アンナ、倉住ショウコ、浅野間サトコ、三尾谷ヒロコ、中條ヤチヨの計10名である。
「カオリは着物を着てきたんだ。似合うね~。素敵な色」
「ありがと、これはおばあちゃんが昔着てたものなんだ。気に入ってるの」
「おばあちゃんって昔は優秀な巫女だったって話のあのヨシエおばあちゃん?」
「そう、おばあちゃんは舞が上手で有名だったのよ。最初は私じゃなくて(前の)ママにあげたらしいんだけどママは胸がこう、やたら大きかったから上手く着こなせなくて私が貰うことになったの」
「あー、カオリはぺったんこだもんね」
「うっさいな!」
受験を控えた3年生もこの日だけは集まった。今日は部活のみんなで鹿島神宮(かしまじんぐう)に初詣だ。鹿島神宮の神様は勝負の神様だ。麻雀部としては行かない手はない。
ワンマン運転の大洗鹿島線(おおあらいかしません)は麻雀娘たちを乗せて神様の元へと進んで行く。
鹿島神宮到着
「大きな鳥居ねー」と入り口の大鳥居をミサトが見上げる。ミサトはこちらに引っ越してきてまだ1年も経ってないので鹿島神宮へ来たのは初めてだ。佐藤家も引っ越してきて間もないが親戚がこの近くに居るので来たことは何回かある。他のみんなも少なくとも一度は来たことがある場所だったのでミサトだけが初めてだった。
「おみくじでも引くか」とミサトがおみくじを買いに行く。
占いや迷信を好まないミサトもおみくじは引いてみたいようだ。こういうのは信じる信じないとかではなく『年に一度のイベント』ということなんだろう。
混んでる中でもそれを無視して念入りにクジを選択するミサト。「むむむむむ…… これだぁ!!」
吉
「なんだ、吉かあー」
「でもでもほら、いい事書いてあるよ」とカオリが言う。
願望 叶う。
健康 良いだろう。
仕事 必ずや大きな成果を得る。
学業 そのままでいれば良い。
恋愛 幸せは必ず訪れる。
縁談 気にすることはない。ありのままでいれば良し。
勝負 勝てる。努力を惜しまなければ成果は出る。
家庭 優しさを感じるだろう。素直に受け取るがよい。
金運 良い。
人望 あなたが中心になる。
「えー、なになに。『得意不得意が人の個性である。他人の能力が羨ましいこともあるが、自分にも他人が羨む長所は必ずある。自分の価値に気付き、伸ばすがよい』だって」
「なんかいいじゃん」
おみくじはカオリも引いた。
「おっ! ツモ。大吉!」
大吉
願望 努力すれば一度は叶う。
健康 心の甘えが病の元。気を引き締めるべし。
仕事 汗水流せば成果を得る。
学業 時間を忘れて没頭すべし。
恋愛 焦ることはない。
縁談 今はまだその時ではない。
勝負 挑む相手は自身の中にあり。
家庭 自然のままが良い。安心せよ。
金運 努力なしには得ることはない。
人望 社会の居場所は自分から作り出せ。
「えーと『人の道は平地にあらず、常に変化をしていくもの。階段のようにある人は登り、ある人は降りる』ってさ。え、アドバイスはしてくれないの? っていうか吉より大吉の方が内容が厳しいような気がするのは気のせいですか?」
その後、人の波がどんどん押し寄せてきたので他のみんなは今おみくじを引くのは諦めた。
「しかしすごい人ね」とミサトは驚く。
「毎年この時期はこうよ。出店とかも普段はないんだけどね」
やっと先頭になった一行は各々の願い事を神様へと届けた。
34.第十一話 アリスラーメン お詣りを済ませた麻雀部一行。よく見たらスグルがいない。「あれ? お兄ちゃんいない」「はぐれたの? 子供じゃあるまいし」「私達は子供だけどね」「じゃあ私達が実ははぐれたってこと? 1対9だけど」「いやそれは変でしょ」 と話していたらスグルが現れた。「どこ行ってたの? お兄ちゃん」「ちょっとこれ買ってた。ほらお前も」 それは学業のお守りだった。「受験生の分は買ってきたから、3年生のみんなは頑張れよ!」「「ありがとうございます!」」 カオリはもう神様の存在は信じざるを得ないのでこういうアイテムは本当に嬉しかったし、信仰心ゼロのミサトも、そうは言ってもお守りを渡されればその気持ちが嬉しかった。「お兄ちゃんったらホンっとイケメンなんだから! ありがとうね」「おう、じゃあそろそろ腹減ってきたしなんか食うか!」 するとミサトがケータイを開いて地図を見せてくる。「実はココに行ってみたいなっていうお店があるの。『アリスラーメン※』って言うんだけど」「住所はみやなか7丁目…… ちょっと遠いんじゃない?」「ま、いいんじゃない? 少し歩いて疲れた方がお腹もすいて美味しく食べれるわよ」「ミサトはタフだからなあ。でもまあそれもいいか! 歩こう」 場所を知らない状態で歩くのはけっこう時間がかかった。「あ、見てミサト。あれの読み方『みやなか』じゃなかったみたい」見てみると交差点の名前にKyucyu-Koban-Maeとある。きゅうちゅうこうばんまえ。「あーー『宮中』ってきゅうちゅうだったんだ」「神様がすぐそこにいるからだね」 一行はそんな事を話しながら歩く、そろそろ疲れたな。まだかな? 道はまっすぐ行くだけだと思うんだけどなぁ。と思っていたら……「あった! あれだ」 今歩いている道の先。道が左に曲がるカーブになっている所にアリスラーメンはあった。探しながら歩いたから遠い感じがしたが場所を知ってしまえばそんなに気になるほどの距離ではなさそうだと思った。 10名は多いので2カ所のテーブル席に案内された。店内はとてもきれいでラーメン屋というより小洒落た焼肉屋に近い作りだった。「ミサトはよくこんな良いところ知ってたわね」「せっかくみんなで初詣に行くんだから美味しいものを食べに行きたいなって思ってずっと調べてた
35.第十二話 それぞれの進路 アリスラーメンでの食事を終えたら3年生とスグルは真っ直ぐに帰ることにした。受験生たちは今日も勉強だからだ。なにせ受験は今月である。休んでいる暇はない。要領のいい麻雀部の3年生たちはそこまで切羽詰まってなかったが、それでも今こそが正念場なので毎日勉強をしっかりやった。 要領よくやる、というのはつまり効率よくやること。それは麻雀の才能とも言えるので麻雀部一行はほとんどみんな何をやるにも要領が良かった。効率に弱くて麻雀が強くなれる訳がない。 とくにカオリは受験を一発でクリアさせることにすごく気合いが入っていた。(絶対一発で合格してみせる。さっさと合格して…… 一刻も早くまた麻雀をするんだ!)そう思っていた。そして…… 麻雀部の3年生たちは全員現役で大学に合格。「良かった~。これでまた麻雀して遊べるね!」「早く麻雀したいから勉強頑張れたようなものよ」「それ、私も」「なんだ、みんな同じね」 4人は春から大学生になる。────「お世話になりました。今日まで、本当にありがとうございました」「いつでも帰ってこいよ」 スグルは雀荘『ひよこ』を辞めた。新たな扉を開いて挑戦していくつもりで上京を決意した。妹にバレたら動揺して受験に響くかもしれないから妹の受験が終わるまで待ったが、どうやら受験の手ごたえはバッチリのようだったので合格を確認する必要も無さそうだ。スグルは家を出ると妹にメールを送った。“しばらく家を出る。部屋は使っていいけど綺麗にしておいてくれよ。今後は
36.ここまでのあらすじ謎の声の正体は伍萬の付喪神だった。カオリは付喪神にコーチを受けて成長していく。そしてこの春からついにカオリ、マナミ、ミサト、ユウの4人は大学生となる。【登場人物紹介】財前香織ざいぜんかおり通称カオリ主人公。読書家でクールな雰囲気とは裏腹に内面は熱く燃える。柔軟な思考を持ち不思議なことにも動じない器の大きな少女。財前真実ざいぜんまなみ通称マナミ主人公の義理の姉。麻雀部部長。攻撃主体の麻雀をする感覚派。佐藤優さとうゆう通称ユウ兄の影響で麻雀にハマったお兄ちゃんっ子。誘導する戦略に長けている。優しい性格の女の子。竹田杏奈たけだあんな通称アンテーブルゲーム研究部に所属している香織の学校の後輩。手牌読みの才能がある。佐藤卓さとうすぐる通称スグル佐藤優の兄。『ひよこ』という場末雀荘のメンバーをしている。人手不足からシフトはいつもランダム。自分の部屋は麻雀部に乗っ取られているがそれ程気にはしていない。井川美沙都いがわみさと通称ミサト麻雀部いちのスタミナを誇る守備派雀士。怠けることを嫌い、ストイックに生きる。中條八千代なかじょうやちよ通称ヤチヨテーブルゲーム研究部所属の穏やかな少女理解力が高く定石を打つならコレという判断を間違えない。三尾谷寛子みおたにひろこ通称ヒロコテーブルゲーム研究部所属の戦略家ゲームの本質を見抜く力に長けていて作戦勝ちを狙う軍師。womanカオリにだけ届く謎の声。いつも出現するわけではなく、時々現れては助言をしてカオリを勝利へ導こうとする。その4第一話 マナミの告白 カオリたちは大学生になった。水戸駅からバスで25分の所にある朱雀谷大学へ通うことになる。大学生になって何が大変かと言えば朝の着替えであった。今までは休日以外は制服を着ていれば良かったが大学生には制服がない。オシャレに疎いカオリたち麻雀部はこれには参ってしまった。「ねえ、マナミ。これ変じゃないかなあ?」「知らないわよ。私だって分かんないんだから私の意見をあてにしようとしないでよ」 毎日私服となると服のレパートリーが圧倒的に足らないことに気付いた。「カオリ。明日、服買いに行かない?」「行く」次の日 カオリたちは水戸駅周辺をブラブラしながら買い物をして歩いた。その日は一日
37.第二話 変わった宝物 私、財前マナミ。私にはちょっと変わった宝物があるの。それは麻雀マット。牌にも思い入れはあるけど、私の宝物はマットの方なの。なんでかって言うと話が少し長くなるんだけど聞いてくれる? 石井家は父と母と姉と私の4人家族でした。 小さい頃は4人でよくコタツの裏を使って麻雀をしてた。私はお姉ちゃんに教えてもらいながらだったけど6つ上のお姉ちゃんは丁寧に私がわかるように教えてくれたからあまり分かっていないなりに楽しく遊べた。 でも、そんな時代は長く続きはしなかった。だってお父さんとお母さんはそのうち離婚して私たちは小さなアパートに引っ越してしまうから。 私が麻雀を好きだったので牌は持ってきたけどコタツは買い替えたから裏面にしても緑のラシャが無かった。だからお姉ちゃんが買ってきてくれたの、麻雀マットを。あれはお姉ちゃんが私にくれた初めてのプレゼントだった。 私はそのマットを大事にしたわ。使う度にコロコロして。シワにならないように丁寧に扱って。そのうちにお姉ちゃんは自立して家を出て行ってしまうのだけど、私はいつかお姉ちゃんが帰ってきた時はまた遊んでもらおうと思って牌とマットを大切に管理した。特にお姉ちゃんに買ってもらった麻雀マットを大事に大事に扱った。 その後、お母さんは財前さんと結婚した。──────────────────《……で今に至る。というわけでラシャの付喪神が現れたみたいですね》(マナミの過去の記憶までわかるんだ)《とーぜんよ! わた…… 時間切れでwomanが消えた。カオリはキーホルダーをツンとつつく。(なんて言ってたの)《2回言うの恥ずかしいんですけど…… とーぜんよ! 私は神様ですよ? って言いました》(それ、2回言うの恥ずかしいね) クククとカオリは静かに笑う。《もう…… カオリのイジワル!》(でもそっかー。マナミにそんな過去があったのかー) カオリはマナミのお姉さん、つまり自分にも義理の姉である石井奈央(いしいなお)には1回だけしか会ったことはないが、この過去の記憶からとても優しい人なんだなと知って嬉しい気持ちになった。《能力のことはマナミさんには言わない方がいいかもしれませんね。彼女の能力もだし、私の存在も。知らないままの方が都合の良いこともあります。それに、きっとラシャの付喪神様は
38.第三話 働こう! 少し離れた土地で麻雀をするだけ。それだけのことかもしれない。 牌はいつもと変わらないし、ルールもほぼ同じでやる事は一緒。 だが、この一戦はスグルには大きな挑戦だった。『東京で勝つ』そういう意味があった。 自然と指に汗がにじむ。いつも通りの麻雀なはずなのに緊張して固くなる。(落ち着け…… 毎日やってることを今日もやる。それだけだ) 少し手が震える。格好悪い。止まれ。震えるな。止まれよ。 スグルがそう思っても簡単に制御できるものでもない。震えは気付かれませんようにと願うしかないが、多分全員気付いてる。みっともなくて恥ずかしい。 せめて、せめて麻雀は勝たないと。みっともない姿でみっともない成績を出すことなど絶対あってはならない。男として。 だが、それは叶わないことになる。スグルの東京挑戦初日はボロ負け。(だめだ、使い物にならないと思われたに違いない。畜生! 畜生畜生!!) そう思っていたスグルだが。「佐藤さんお疲れ様。今日はついてなかったけどスタッフには向いてるね。初めてで緊張したんでしょ? そのくらい気を引き締めてるような人の方が私はこの仕事に向いていると思ってる。初めてなのに気を緩めてるような人は信頼できないしね。明日からもよろしく頼みます。ウチに来てくれてありがとう」と萬屋(よろずや)に言われた。萬屋は人を見る目がある。「こちらこそ、ありがとうございます。よろしくお願いします」 散々な成績を出した初日だったがスグルの性格を萬屋マサルは初日で見抜きそれ以降萬屋マサルは佐藤スグルを自分の右腕になれるよう仕事に麻雀にと仕込んでいくのであった。 ◆◇◆◇「そうだ。働こう!」 財前姉妹はアルバイトをしようと思い立つ。それはもちろん修行のため。となるとそのバイト先はもちろん雀荘だ。雀士にとっての修行先など雀荘しかない。いや、他の仕事でも修行にはなるが、せっかくなのでやはり麻雀を仕事にしたい。「スグルさんが働いてたとこなんていいんじゃないかな。スグルさんが辞めて募集をかけてる最中のはずだし」「なんて言ってたっけ?」「『ひよこ』って言ってたわよ確か、そこ行ってみよう」 まずはどんな所にあるのかを確認するため2人はひよこへと行ってみる。『ひよこ』は水戸駅から徒歩15~20分かかるかどうかの所にあった。 「と
39.第四話 雀荘ひよこの新スタッフ「せっかく真面目なやつが来てくれたと思ってたんだがなあ」 マスターは誰もいない店内でそうポツリと呟いた。強いやつ、ズルいやつ、賢いやつ、モテるやつ、悪さをするやつ、色んなやつと働いてきた。この店を作ったその時から、自分の店を任せて安心なやつを求めて人を探してた。(アイツになら、継がせるのも良かったと思っていたが、まだアイツは麻雀を強くなりたいという情熱があったようだ。……武者修行に出たいから辞めますなんて、やっぱりアイツは真面目そのものだなあ)「ふふ」 マスターは笑みが溢れた。スグルが行ってしまったのは痛いが、その行動こそ、スグルらしいなと思うと笑ってしまう。(頑張れ) ただそう思った。アイツに大きくなって欲しい。挑戦者であって欲しい。 午前中の店内はまだ誰もいなくてマスターは1人で朝の仕事をやっていた。 前日の片付けやフードメニューの仕込みなどやるべきことは割とある。 するとガシャンと扉が開いた。ずいぶん早いが誰だろうか。「いらっしゃいませ!」 入ってきたのは場違いなくらい若くて綺麗な2人だった。「えっと、4名様かな?」 こんな時間に来客とは珍しい。多分、貸し卓の新規客だろう。にしても綺麗だ。雀荘に来たのは何かの間違いではないだろうか。「いえ、私達フリーで少し打とうと思って来ました。でも、すぐに出来ないなら出来ないでいいです。本題から済ませるので」 フリー? 本題? どういうことだ。「アルバイト募集してませんか? 私達ここで働きたいんです。土日祝日だけになりますけど。良ければ雇ってください」「えっ、どういうこと?」 マスターは驚きのあまりワケのわからない返しをしてしまった。こんなに驚いたことは今まで生きてて初めてかもしれない。「ですから、ここでアルバイトを。土日祝日だけ。どうですか? と」「このお店は麻雀をするとこだけど?」「もちろん分かっています」「私達は高校生のころ佐藤スグルさんに鍛えてもらったんです。今は大学生なので年齢は問題ありません」 これは夢だろうか。スグルがいなくなったと思っていたらスグルの弟子がやってきた。しかもこんなに綺麗な女の子が2人だときてる。「……えっ、と……分かりました。じゃあ採用するのでシフトを作りましょう。初日は2人とも来てもらうけど、基本的には
40.第伍話 一番大切な顧客 スグルは『富士』で身内からの信頼をあっという間に得ていて、1ヶ月もする頃には遅番に居なくてはならない存在となった。 というのも、スグルは信頼獲得のとても単純で簡単な方法を分かっていたから。それは誰よりも早く出勤すること。それだけだ。 スグルは30分前には必ず出勤していた。たったそれだけだが、それは《私はやる気があります!》というメッセージを与えるには最も効果的な手だった。信頼されてないということは不利なこと。そこに気付いているスグルなので必ず早く出勤して信頼を勝ち取った。◆◇◆◇ その頃、財前姉妹はそのスグルの考えを社会に出る前に知っておいて欲しいこと、として教えてもらっていたからさっそく実行していた。30分前出勤 これを実行するだけで高評価になるならやるべきだ。とくに麻雀業界は必ず反対番がいるので自分らを早く帰してくれる反対番の存在はもはや神よりもありがたい。既に12時間労働しているのに反対番が中々出勤しないがために本走で残業などあってたまるかということだ。 身内に感謝されないスタッフが店に良いスタッフであるわけはない。まずは身内に好かれる人であれ。それがスグルの教えであった。雀士は雇われであれ個人事業主のようなもの。身内とは接点が一番多い、つまり身内こそが一番大切な顧客なのである。 お客様だけが顧客ではない。自分にとっての顧客とは対局相手となりうる全員のことだと知ること。そう、スグルは教えてくれた。 この世に敵はいない。いるのはお客様だけ。それがスグルの考えなのだった。 さて、アルバイトを始めたので麻雀部へと顔を出す時間が減った財前姉妹だが、麻雀部はそれでも変わらず稼働していた。特に、向上心のあるショウコやサトコが料理研究会の無い日は毎回来るのでアンとユウはほとんど毎日2人に基礎戦術を教えていた。「理由もなく切る牌はない。その牌が打たれたという現象の裏にはそれをさせた理由が必ず付いてくる。影から光を知るようにそれを読み取るのが読みの一歩目」とアンは読みを教え。「読みがあるなら読まれもある。相手はどう読み取るかを把握して読ませて誘導するのが罠作りのファーストステップよ」とユウが教える。 最初は基礎手順すらちんぷんかんぷんだった2人だが、全員のレベルがハイレベルな環境にいたからか、あっという間にこれらの会話
41.第六話 生きがい《最近腕を上げてきましたね。カオリ》「そうかな、私には分からないけど」《うまくなってきてますよ。相手の癖なども把握しているし対応力が付いたように見えます。カオリは敵戦力を見極める目を持っているんですね》「褒め過ぎだよ」 バイトあがりの帰り道、上着のポケットに入れた赤伍萬を握りながら歩く。 雀荘には赤の予備牌がたくさんあるのでマスターに断って1枚貰った。素直に「赤伍萬が好きなので1枚貰っていいですか」とお願いした。「たくさんあるから別にいいけど、1枚だけあっても仕方ないだろ」と言われたが「部屋に飾ります」と言いごまかした。本当は1人の帰り道に一緒に話す友達が欲しかったのだ。まあ、womanは友達というか神様なんだけど。《今日のチーなんて素晴らしい発想でしたよね。アガリに向かうつもりではない鳴きをするなんて》「ああ、親の一発消したやつね。あれはだってああでもしないと……」《わかりますよ、仕掛けていた下家を応援したんですよね》「そう! さすがwoman!」《親のリーチの一発にはさすがに勝負は効率が悪いとし仕掛けた下家がオリを選択してしまうというパターンになることを嫌ったんですよね。そこでカオリが一発消し。あのチーからは下家への(一発は私が無理矢理消したからアナタはオリないで頑張って! お願い! 一緒に戦って!)という願いが聞こえるようでした》「womanは全部わかってくれるんだね」《ふふ、神様ですからね》「そうでした」 カオリは夜道を歩く時はこうしてwomanとずっと話しながら歩いた。その方が誰かと話していると思われれば変質者対策としても機能し安全だとも思ったし、何より神様との麻雀の会話は本当に楽しかった。◆◇◆◇ 一方、その頃。スグルの方は店が大盛況していて日暮里(にっぽり)の2号店に続き3号店をオープンさせようかという話があった。スグルは目の回るような忙しさというものを初めて体験して、大変な思いをしていたが、同時に仕事にやりがいを感じてもいた。「萬屋(よろずや)さん、おれこの仕事場、やりがいがあって好きかもしんないです」「そうか、やりがいね」 そう言うと萬屋マサルは少し嬉しそうに笑った。「萬屋さんも、この仕事が好きなんすか?」「そうだな、おれはこの仕事にやりがい以上のものを感じている」「やりがい以
53.第六話 泉天馬の1人旅 その頃、佐藤ユウはアマチュアの参加可能な麻雀大会にさっそく申し込みしていた。相棒のアンはまだ年齢的に参加できないし財前姉妹やミサトはプロ予選からの参加なのでアマチュアのユウと同じようには参加出来ない。プロはプロだけで別日に予選が行われて勝ち上がらなければならないのだ。なのでユウは麻雀部ではひとりきりの予選参加となった。(予選会場は上野かあ。遠いけど乗り換えはないから行きやすくて良かったあ) こうしてユウはひとり、夢への第一歩を踏み出すのであった。◆◇◆◇ 泉(いずみ)テンマは納得できなかった。 ここはフリー麻雀『牌スコア』 前日に成績が良くないスタッフを守れというミーティングをしたその舌の根も乾かぬうちに3卓6入りの指示を出すオーナーにテンマは辟易していた。3卓6入りとは。卓が3つ稼働していて、そこにスタッフが6人入って卓を回しているということ、つまりは2卓2入りで充分なのである。 なぜオーナーがそんな事をするかと言うとスタッフからもゲーム代は巻き上げるシステムだからだ。 店の人間であれゲームに参加してればゲーム代は払ってもらうというのがこの業界の常だった。しかし、だからと言って3卓6入りのようなあまりに露骨なことはしないのもまた経営陣の掟である。まして、前日のミーティングで負けてしまうスタッフを守りましょうとか言ったなら尚更だ。 テンマは決して負けていなかったが、このオーナーの汚いやり口が気に入らない。ミーティングごっこもうんざりだ。こんな所で働いてたら自分もオーナーの食い物にされるだけだと思っていた。 そんな中、それでも歯を食いしばって働いたが、ある日オーナーが自分の身内を3人連れてきて4卓8入りに伸ばした。いま、2卓丸で平和に回してる
52.第伍話 オリジナル戦術書 その日、バイトから帰ってきたカオリは家に誰もいないことを確認するとキーホルダーをツンとつついた。「ねえwoman」《なんですか?》「マナミが伸び悩んでる感じがするんだけど、何かアドバイスできないかな」《ラシャの付喪神様は無言みたいですからね。ちょっと間違ってるとお知らせしてくれるだけで基本的にはマナミさん自身に任せてますよね》「何か効果的な練習メニューとかないの?」《そうですね、私なら……》「私なら?」《自分オリジナルの戦術書を作ります》「自分で?! そんなこと出来ないよ!! 未熟も未熟。私たちはまだ素人みたいなもんなのに!」《何言ってるんですかカオリ。あなたもマナミさんも今はもう競技団体に所属している、まごうことなきプロ雀士なんですよ。忘れたんですか?》「そ、それはそうだけどぉー」《やってみればカオリには出来るはずです。カオリは文章を書くのは得意じゃないですか。マナミさんにも書き方のコツを教えながら2人で作ってみたらいいんです。やり始めればきっと楽しいですよ。日記だってカオリは楽しそうによく書いてるじゃないですか》「例えばどんなことから書いたらいいかな」《そ……(あ、消えた) カオリは再びキーホルダーをツンとつつく。「で、例えばどんなことから書いたらいい?」《そう言うのはまず自分で考えるから意味があるんですよ、カオリ。でも、強いて言うならまずは基礎からじゃないですか? 私ならスタートは基礎から。確実で、それでいて出来ていない人もたくさん居そうな。そんな自分の中で一番気をつけてる『構え』から入るかもしれませんね》(ふむ、なるほど)「ありがとう、woman。マナミと一緒にちょっと考えてみる!」《これでマナミさんが一皮剥けるといいです
51.第四話 人間読み その半荘は萬屋マサルのダントツだった。誰にも捲られることはないだろうという点差をつけてオーラスを迎えたマサル。そこに3着目につけている久本カズオがどう見ても2着すら捲らない安仕掛けで逃げを決めに来てた。 打点はおそらく2000点。あっても3900。満貫を狙えば2着を捲れるが、ラス目が千点差以内のすぐ近くにいるのでリーチ棒を出さない方針として考えた結果『ラス落ち回避のみを優先』とさせて安仕掛けで3着キープ狙いとなったのだ。 その時のカズオは(安いのは分かるように二色晒したからこれなら萬屋が放銃してくるな)とほくそ笑んでいた。 それを見たマサルはむしろカズオを徹底マークした。絶対にあがらせない。そう誓った。そして、長引いた末にラス目が追いついた。「リーチ!」 そこに対してマサルはカズオに現物の打⑦。「ロン!」 見事なメンタンピンだった。これをツモって裏乗せれば2着という仕上げ。「3900」「はい」「……2卓ラストです。優勝C席会社失礼しました。着順CDAです!」「2卓の皆様よりゲーム代いただきましたありがとうございます!」「「ありがとうございます!」」「それではゲームお待ちの2名様お待たせ致しました」 待ち席で待っていた人を卓にご案内して立番に戻るとカズオがマサルに質問してきた。「さっきのオーラス。僕の当たり牌持ってなかったんですか? 差し込みしてくると踏んだんですけど」「持ってたさ。いつでも差せた。4種類以上持ってたからどれかは当たりだっただろうな」「え? じゃ、じゃあなんで打ってくんないんですか」「態度が悪いからだ」「ええ?」「久本さんの考えていることはお見通しなんだよ。安い
50.第三話 知っているから分からない マナミは力を付けてきたので最近はずっとラシャの付喪神の出番はなかった。もう、現段階のステージでは見てなくても大丈夫だなと。 すっかり出番を失った付喪神だが、それこそが望んだことなので神様も満足して休んでいた。もう、マナミは現状放っておいても強い。とは言えまだ経験不足。分からないことはたくさんある。 マナミは分かる範囲で間違えないというだけだ。成長したらそれと共にまた分からない事は増えていく。 麻雀は知れば知るほど正解が難解に思えてくる。それは麻雀を知れば新しい解法を知ることにもなるから。 今まで足し算引き算しか知らなかった人にかけ算を教えるようなものだ。新しい解き方に気付くことこそが成長で、それを使いこなす為に更なる鍛錬が必要となる。 つまり、誰よりも知っているから分からない。そういう現象が麻雀にはある。 早くて、正解であっても、浅いのであれば最強とは程遠いということ。最高等級な正解を探求し、相手の力量も把握し、その中から今使うべき選択、ターゲットに対して最も効果的と思われる最適打を導き出せて初めて一流雀士への道のスタート地点に立てるというものだ。 とは言え、マナミはずいぶんと強くなった。なのにマナミはスコアをもっと伸ばしたいと常に思っていた。それは自分より上のスコアを反対番のカオリが出すから。(負けられない! 姉として、ライバルとして、そして…… プロとして! ……カオリにだけは負けたくないっ!!) そんな思いを抱いていた。 そうとは知らずカオリはwomanに習いながら勝ち続けていたのだが。◆◇◆◇ 一方、ミサトは麻雀部にプロ麻雀師団入りしたことを報告に来ていた。「というわけでー、私は麻雀部の誓いでもある『生涯雀士』の
49.第二話 財前プロの初出勤 土曜日。今日はカオリが午前出勤の日である。そして、プロ雀士になってから初の出勤日でもあった。「「カオリちゃん! プロ試験合格おめでとう!!」」 出勤したらみんなから祝福された。時給も980円から1200円になるんだという。「ありがとうございます。でも、なんだかまだ実感がないです。リーグ戦も始まってないし。私がプロ雀士かあ…… ウソみたい」「カオリちゃんはプロだよ。なんかそう、オーラを感じるもの」「あは、ありがとうございます」(それはwomanのことかな? 勘のいい人にはわかるのかしら)「じゃあさっそくだけどカオリさん本走頼めるかな」「もちろんです!」「ああ、今日からは財前プロか」「やめてくださいよ店長。今まで通りカオリでいいですよ。それに財前プロだとマナミもだし」「わかったよ。それじゃ1卓で立卓準備してください」 そう言うと店長はゲームシートに時間と名前を記入し始めた。 場決めの牌を引いてゲーム開始!『ゲーム、スタート』 自動卓がゲーム開始の音声を上げる。「「よろしくお願いします!」」 カオリは北家でスタート。「お飲み物はよろしいですかー。みなさんお飲み物のご注文はよろしいですかー」そう聞きながら立番の店長が卓を回る。「あ、ごめん、ケータイの充電お願い」大体この時飲み物以外の注文が入ったりする。今来たばかりの人に食べ物の注文をされる時もある。外で食べてから来ればいいのに。その方が安く済むのにな。といつも思う。タバコの注文をされる時もあるが(それは買ってから来店してよね)と思う。そもそも私は買いに出れないし。年
48.ここまでのあらすじ カオリ、マナミ、ミサトの3名はプロ麻雀師団のテストを受けて見事合格。今期から入会し、プロ雀士として活動することになる。 一方ユウは競技プロという道ではなく麻雀教室講師という道を目指した。【登場人物紹介】財前香織ざいぜんかおり通称カオリ主人公。読書家で書くのも好き。クールな雰囲気とは裏腹に内面は熱く燃える。柔軟な思考を持ち不思議なことにも動じない器の大きな少女。神の力を宿す運命の子。財前真実ざいぜんまなみ通称マナミ主人公の義理の姉。麻雀部部長。攻撃主体の麻雀をする感覚派。ラーメンが大好き。佐藤優さとうゆう通称ユウ兄の影響で麻雀にハマったお兄ちゃんっ子。竹田杏奈たけだあんな通称アンテーブルゲーム研究部に所属している香織の学校の後輩。佐藤卓さとうすぐる通称スグル佐藤優の兄。『ひよこ』という場末雀荘のメンバーをしていた。自分の部屋は麻雀部に乗っ取られているが全く気にしていない。井川美沙都いがわみさと通称ミサト麻雀部いちのスタミナを誇る守備派雀士。怠けることを嫌い、ストイックに生きる。中條八千代なかじょうやちよ通称ヤチヨテーブルゲーム研究部所属の穏やかな少女。理解力が高く定石を打つならコレという判断を間違えない。三尾谷寛子みおたにひろこ通称ヒロコテーブルゲーム研究部所属の戦略家。ゲームの本質を見抜く力に長けていて作戦勝ちを狙う軍師。倉住祥子くらずみしょうこ通称ショウコ竹田アンナの同級生。ややポッチャリ気味の美少女。見た目通り、よく食べる。学力は高く常に学年上位だがそんなことには全く興味がない。天才肌。浅野間聡子あさのまさとこ通称サトコショウコの親友。背が高くてガッチリした体格。中学時代はバレー部で活躍したが高校からは料理研究部に興味を持ち運動部はやめることに。運動神経よりも戦略や読みで活躍する頭脳明晰な元セッター。womanカオリにだけ届く伍萬の付喪神の声。いつも出現するわけではなく、伍に触れた時だけ現れては助言をしてカオリを勝利へ導こうとする。その5第一話 3つの上達方法 佐藤ユウはメキメキと腕を上げていた。最近、倉住ショウコと浅野間サトコがユウのような戦術家になりたいと言い毎日のように教わりに来るのでコイツら受験生なのに学校の勉強は大丈夫
47.第十二話 私のなりたいプロ 白山詩織(はくざんしおり)は帰りたかった。(はあーー。なんで私がこんな仕事をしなきゃなんないのかしら。試験官なんて私の時はもっと重鎮が出てきてやってたじゃない。なんで私に招集がかかるのよ! でも、これをやれば他の行事を今年はパスしてもいいって言われちゃあやるしかないか…… パーティに出て女王位おめでとうとか壇上で言われたりすんのは面倒くさいし、今年のパーティは休ませてもらうわ) そう思ってシオリは今回のプロテストで試験官を務めた。名簿に目を通してみると財前という名前が2人いることに気付く。(姉妹かしら、珍しいわね) 試験会場の椅子や長テーブルの設置を手伝ったりして朝早くから忙しいシオリ。(ったく、何で私が) そう思いつつも女王シオリは汗をかきながら自分の仕事をしっかりやった。────10時00分 試験受付が始まった。今度は入り口で記入をお願いする係をシオリが担当。もう疲れたから座ってられる仕事をしようと思ったのだ。そこに一番手で受付に来たのは派手な髪色をした、それでいてライオンのような堂々たる佇まいを見せる立ち姿の美しい美少女だった。(おお…… 美しさの中に知性と力を感じさせる。強者の雰囲気があるな。この子は合格しそうだ)とシオリは一目で思った。「はい、こちらにお名前を記入して右手奥から階段を上がり2階の手前左の部屋へ行って下さい」「はい」井川美沙都 それから数分後また別の美少女がきた、しかも今度は2人だ。「はい、こちらにお名前を記入して右手奥から階段を上がり2階の手前左の部屋へ行って下さい」「はい」「はい」財前真実財前香織(
46.第十一話 イチゴサンド 金色に近い茶髪をした少女は車窓から見えるのどかな風景を立ちながら見ていた。(落ち着くわ…… どこまでも緑。時々花が咲いていて。少し前まで東京でコンクリートばかり見て暮らしてきたのが嘘のよう。やっぱり人間は自然の中が落ち着くようになっているのかしら。人間である前に動物ってことね) そんなことを思いながら大洗鹿島線(おおあらいかしません)で鹿島神宮(かしまじんぐう)へと向かっていたのは来週プロテストを受ける井川ミサトだ。 鹿島神宮は勝負の神様。麻雀プロテストの合格祈願にはもってこいなのである。 車内はガラガラに空いていて座席は選び放題だったが例によってこの少女は座らない。常に肉体を鍛えている。鍛えてはいるのだが、食べ物は好きな物を食べたい。そこは譲りたくないので、せめて運動量は多くしていく。ミサトはそういう考えだった。 美味しいものを食べることすら我慢して鍛えるのは違うような気がするのである。そこは食べようよと。なので当然、今回も鹿島神宮で祈願を済ませた後はアリスラーメンに行くつもりだ。けど、今回の目的はラーメンではなくフルーツサンドだ。 正直言って迷った。ラーメンを食べるべきかどうか。両方ともというのは大人の考えで、まだ学生のミサトにはラーメンもフルーツサンドもというのは贅沢過ぎた。 前回は店内でみんな一緒にラーメンという計画だったので選択肢に無かったが今回は一人旅だ。無人販売所のフルーツサンド…… 食べてみたい! しかし、ラーメン美味しかったし…… でも、イチゴサンド食べたいし……。決定出来ないまま長考中のミサトだったが到着したら選択の余地がなかった。なぜなら現在時刻14時55分。昼営業のラストオーダーは14時45分までなのである。さすがに夜営業の17時までは待っていられない。無人販売所なら24時間あいている。(よし、運命がイチゴサンドを
45.第十話 スグルの新人教育 スグルの働く鶯谷(うぐいすだに)の雀荘『富士』に新人(と言っても48歳。雀荘経験はあるが過去に2度迷惑かける形で辞めている)が入った。 新人の名は久本一夫(ひさもとかずお)。彼はそれなりに仕事をやった。まるっきりダメというわけでもない。だが、50分に出勤する奴だった。 別にそれ自体は責めることではない。従業員規定には55分には着替えて挨拶を終えた状態にするようにとあるのでギリギリ間に合っている。 ……が、問題は反対番との交代の時に起きた。 新人のカズオはその日21時30分スタートの卓に着いていた。そこに、遅番のスグルが出勤する。「おはようございます!」 するとカズオはこれはしめたとばかりに「ここ行けますよ!」と交代を主張してくる。東1局一本場21000点持ちの北家だった。つまり既に4000オールを引かれている。 優しいスグルはそこを交代するが、それを直後に出勤して状況を把握したマサルがカズオを呼び出す。「久本さんはなんでここスグルに打たせてんだ。しかも失点しておいて。スグルの方から交代すると言ったのか?」「えっと、違います……」「久本さんのいつもの出勤時間は50分なんだから30分スタートのゲームは交代してもらう訳にいかねえとは思わないのか?」「……え」「え、じゃねえ。いいか、この恩をスグルに返すまでは必ず30分に出勤してきなさい。今後50分に出勤とかさせねえからな。したら遅刻として扱う。当然ですよね」「そんな」「あなたはそうやって自分にだけやたら甘くしてきたから集団で不和をもたらして職場を転々としてきたんだよ。全て久本さん自身の責任だ。あまちゃんなんだよ。おれをあんまり怒らせるなよ。いいか、自分はもう歳だから生き方は変われないとかは絶対に言うな! おれはあなたのために今言うぞ。人生はまだ続くしあなたはずっとあなた